研究者のつぶやき

北米で研究をしていた研究者のサブブログ。独自ドメイン試用中

留学先選び

留学先選びの話。ポスドクとして留学する場合、何をやりたいかよりも、何処でやるかのほうが重要で、おのずとそこで何がやれるかが決まってくるように思う。

自分のやりたいことをやるためには、まず留学先である程度の結果を出す必要がある。もしくは奇跡的に、自分のやりたいことと近いことを立ち上げたがっているラボに巡り逢うことが必要だ。

 

 

自分の場合も、留学先が決まるまでに色々紆余曲折があった。

自分は再生医療へのアプローチとして発生生物学をやってきたので、再生・発生の大御所的な有名ラボにも複数アプライ (という名の玉砕)してみた。Nature姉妹紙やCell、Developmentなどの論文をコンスタントに出している在米のラボ。

募集もかかっていないラボのPIに直接メールで突撃したところ、いずれもアプライして数日で返事があった。今は人が足りている・今の実験系は縮小する予定だ・あなたのスキルとラボの方向性がマッチしない、など丁寧な返事があり、無視されることもあると聞いていたので結果は残念でしたが納得はいくものであった。

 

ニッチな分野を攻め、国際学会等で突撃すれば割と簡単に留学先は決まるという前回記事とは矛盾するが、簡単に決まるものではないので、そもそもポスドクのアプリケーションは複数を同時進行で動くのが普通らしい。国際学会でPIと話したラボ2つ、そこのポスドクと話したラボ1つにアプライして、ラッキーなことに3か所ともOKをもらった。そこにはここから悩みの数か月が始まった。IFは大したことないものの、ちゃんとしたクオリティの論文がたった1つあっただけで、給料の出るポストを自分で選択することができたのは幸運としか言いようがない。論文はIFじゃなくて内容なのだと思った。

 

留学先を決める基準は、単身ならば研究内容と将来性に集約されるが、家庭持ちならばそれに加えて住環境の良さが必須条件として入ってくることになる。海外は日本ほど治安が良くないけれども、安全な地域と危険な地域は明確に棲み分けられていることが多く、家賃が全然違う。安全をお金で買う、ということ。

 

研究者が住むような割と安全な地域はそれなりの値段がするもので、聞いた話では、ワシントンDCが平均で$2500。NYCやロサンゼルス、サンディエゴなどは場所により$3000を超えることも。

もし家族が事件に巻き込まれたらと考えると必要経費なのかもしれないが、駐在員と違って家賃補助などのない研究者にとっては痛すぎる出費。

 

 

話が若干逸れたけれども、研究内容、将来性、住環境全ての条件がベストだったラボに最終的に在籍することになった。帰国した今となってもその選択がベストだったように思う。人生をかけた決断をする機会もなかなかないですが、その瞬間は間違いなくそのうちのひとつだった。

 

まとめると、

・ラボに選ばれる人材になるためにちゃんとした論文を書く

・自分の技術が通用するラボ・分野を選ぶ

・ラボで要求されることをやってからやりたいことをやる

CNSのいらない留学先の見つけ方

留学準備記事、ずいぶん前に書いたけど日の目を見ていなかったもの。

 

留学先の見つけ方を書き綴ってみた。

自分は運が良かっただけかもしれないし、分野によって全然違うと思うので、あくまでも参考に。

要約すると

  • 世界で勝負できる技術/知識を大学院時代までに蓄える
  • 自薦/他薦が可能なコネクションを構築する
  • 結局は運とタイミング

 

タイトルにあるCNSはご存知、Cell, Nature, Scienceの頭文字を取ったもので、姉妹紙を含めてこれらのIF (Impact Factor)が大きなPaperを持っていれば選択肢は間違いなく広がる。しかし誰もがそんな大きな実績を持てるわけではなく、中堅の雑誌の論文があれば良いほうかもしれない。逆に、20代〜30代前半でCNSゴロゴロ持ってるスーパーサイヤ人は、ポスドクなどせずにさっさと独立して自分のラボを持ったほうが良い。以降、自分含む普通の研究者目線。

 

分野によって論文の書きやすさ、その生産性も違うので一概には比較できないが、自分の場合は大学院時代に書いた4点台の論文ひとつで留学先にアプライした。当該分野では4番目くらいの雑誌。

 

ポスドクの求人は定期的に雑誌や学会のWebサイトに上がってくるが、そこには通常数十の、有名なラボになると数百の応募が殺到する。そんな状況で、CNSなしでも選んでもらえる方法とは?

 

それは、ある意味マーケティングにも通ずるのかもしれないが、先方の需要とこちらの供給、すなわち実験技術/背景が一致することかなと思う。ポスドクのアプライに添付されるCV (Curriculum Vitae)という英文履歴書に記入する職歴、業績、スキルの欄に書ける、世界で通用する何かを持っていることが必要。尖った専門分野を (高いピークにおいて)持っていれば、それを求めているラボは世界のどこかにきっとある。

 

そして、忙しいPIが確実にCVに目を通してくれるためにはやはりコネも欠かせない。国際学会に出かけて顔と名前を売り、自分の最も得意とする勝負できるスキルが一目瞭然な演題を出せるとgood。

自分が参加した学会では、ポスドクを探してるラボのPIとポスドク先を探している研究者が、お互いに識別するためのシールを名札に貼る形式になっていてわかりやすかった。そこで良いマッチングがあれば、意外と簡単に留学先が決まったりする。あとは運とタイミング次第。

 

免疫や癌研究など、膨大な研究者がひしめく分野だと話が全然違ってくるかもしれないが、ニッチな分野だとそこそこいけるかも。

研究留学のもう一つの醍醐味

帰国して1か月近く経ち、ようやく日本の風土に慣れつつある今日この頃。

 

そんなある週末、留学中にお世話になった人々のうち、今近くに住んでいる2家族と食事会をしてきた。

 

自分の留学した町はそれなりに日本人研究者も多く、家族で来ている人、単身で来ている人、最初の数ヶ月経ってから家族を呼び寄せる人、家族を先に帰して残る人など様々であった。

その中でどうしても子供の年齢など家族構成が近い同士で仲良くなるのだが、研究者だけでなく企業の駐在員の人達とも知り合う機会がたくさんあった。

 

日本にいたら決して出会うことのなかった人達と、短期間にたくさん巡り会うことができ、人生の考え方に影響を与えるような出逢いもその中にはあった。日本に帰ればまたそれぞれの職場に戻っていく (人もいるし、新たに就職活動をする人もいる)のだが、帰国してからも付き合いが続くような関係をいくつも作れたということだけでも、留学して異国で暮らした価値があるというものだ。

 

 

もちろん研究者の世界は結果が全てで、論文というわかりやすくも残酷な結果を出していかないと世に認められることはない。自分は幸いにして (そんなにビッグジャーナルではないが)結果にも恵まれたので幸運だったが、それを実現させてくれたのはあそこにいたたくさんの人々の力でもある。

 

組織のまとめ役みたいなものも経験し、しなくてもいい苦労をしているなと思った瞬間はあったけれども、それも振り返ってみれば自分の人脈や経験となった。何事もやってみなければわからないものだ。大前研一の名言に、自分を変える3つの方法というのがある。時間配分、住む場所、付き合う人を変えること。その全てが変わった2年間だったけど、何か変わっただろうか?これからその変化に自分で気づいていくのかもしれない。

 

 

それにしても、英語が一番の苦手科目であった自分が、清水の舞台から飛び降りるではないけれども、エイヤッと思い切って留学したことは、自分の歴史の中では特筆すべき事件であり決心であった。ささえてくれた家族と多くの人々に感謝したい。

 

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もうすぐ向こうは秋になる。写真見てると全てが懐かしい。